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The EVIDENCE 2022 介護離職防止研究を山本先生にインタビューしてみた!

第一次ベビーブーム(1947〜1949年)に生まれた「団塊の世代」と呼ばれる人たちが後期高齢者(75歳)になることで起こる「2025年問題」が目前に迫っています。

後期高齢者人口が2179万人に達すると推計されており、その割合は18.1%。65歳以上の高齢者を含めると、3657万人となり、その比率は30.2%です。そして、高齢者人口の20%、実に5人に1人が認知症患者とも推計されています。

こういった問題にどう向き合っていくのか。今回は介護離職防止の研究をはじめ、介護や看護について研究されている東京大学大学院医学系研究科の山本則子教授にお話を伺いました。

この研究では、介護離職の予防を長期的に考えるために、介護者にとって優しい職場作りを進める介入を計画しました。具体的な事例をドラマ仕立てにした上で、その中に介護保険の仕組みの説明などを挟みこむような形のeラーニングを作り、それを自由な時間に見てもらい効果を測定するというものです。

今回は、介護離職自体は発生数が限られるため主なアウトカムとして測定することは難しかったので、基本となる介護や介護保険制度、介護休業の役割などに関する知識や、将来介護が必要になったときに働き続けられるか、同僚に介護休業を勧めるか、などという行動意図を調査して、これらがeラーニングを視聴する前後でどの程度変わるかを測定しました。プログラムはまず、自分の職場に介護をしている人がいたら?と考えられるようなドラマからスタートし、介護を抱えながら仕事をしている人が、周囲の人の受け止め方や言葉かけの違いによってどのような異なる経験をするか、協力や心ある言葉かけによって働きつづけられるかということを、GoodシナリオとBadシナリオ両方を見せることによって体験してもらえるようになっています。みんなで介護とともに働くことを考えられるように、また介護があってもなくても働きやすい職場になるといいなと思い、研究を進めています。

認知症の方の家族が介護と仕事の両立にとても苦労している、という現状があるからです。

介護の研究を進めていく中で、介護によって仕事が続けられないということが、非常に大きな問題としてクローズアップされました。介護が必要なときだけ仕事ができないのであればまだ救いようがあるのですが、それをきっかけに仕事を辞め、その後仕事に就くことができず貧困に陥るようなケースも多く聞かれたんです。

調査では、介護と仕事の両立を目指す上では、職場がどうサポートするかによって状況に違いがあることがわかってきました。そこで、まずは介護にやさしい職場づくりからアプローチしたいと思いました。

そうですね。昔ある家族から「今日も我慢できる。明日も我慢できる。でもこれがいつまで続くかわからないと思うと、いつまで我慢ができるかわからない」と言われたことがあり、強く印象に残っています。

例えば子育ては、昨日できなかったことが今日できるようになるイメージですよね。でも介護って、残念ながら今日できたことが明日できなくなる。それに加え、どのぐらいその期間が続くかわからないというところは、子育てとは大きく違うと思います。

認知症基本法が成立したように、政府は社会全体で認知症の方々を守りサポートする形を推し進めています。これからは、認知症になった方の家族だけが苦労するような形ではすまない、地域のみんなで見ていこう、ということが大きな方針としてあります。介護離職については、企業の方で問題意識を持っているところが増えてきているように思います。労働力不足の時代に介護が理由で働けなくなるのはできるだけ避けたいですからね。

ただ一つ気になっているのが、介護と仕事の両立を考えたときに、介護は上手にプロに預けてしまえばいいというメッセージが伝わりすぎることです。私たち看護・介護に関わってきた人間としては、そのような考え方には少し違和感があります。例えば子育てで言うと、保育園の整備は必要とはいえ、そこに子育ての全てを預けてしまうのは違いますよね。人のケアを受けたり人にケアを提供したりすることは、人生の一部として誰にでもあるはずなんですよ。それを全部人に任せるというよりも、ぜひ可能な範囲で介護に関わっていただきたい。例えば両親の介護は、両親の人生の一番最後の段階を一緒に過ごす機会になると思います。そして人が老いるということ、人の助けを借りなければいけないことについて、思いを至らせる機会でもあります。少しだけでいいので介護に関わり、同時に社会からのサポートも十分に受けながら仕事を続けられるのが理想です。そういったところを目指し、今回の介入プログラムを作ってみたいなという思いに至りました。

五十嵐歩准教授が中心になって進めています。「もしかしたら認知症の方かもしれない」と思ったとき、みんなが手を伸ばせるようなまちを目指す取組みです。

外に出て徘徊してしまって行方不明になって、という方はすごく多いです。そしてそこでの死亡例もすごく多いんですね。そういったことに関する認識を高め、他人事ではなく地域のこと、社会のこととしてみんなで考えましょうというのがこのプロジェクトです。

  数ヶ月前にニュースに出て話題になったデータがありますが、認知症やその疑いで行方不明になった人は2022年に1.9万人程、死亡例は491人程報告されています。かなりの人数です。

身近でもよくありませんか?私の住んでいる市では、時々「行方不明者の捜索をお願いします」なんていう防災の放送が入ってくるんです。その方の特徴を知らせて、発見した方はぜひご連絡ください、といったような。

誰にでも身近で、かつ非常に大きな問題で、まち全体を挙げて取り組まねばならないと思っています。

「認知症にやさしいまちづくり」では、小学生にも教育を展開しています。人生100年時代になって、認知症は加齢の一部として誰にでも起きてくるものになりました。認知症になる前に死ぬか、なってから死ぬかしかないという話もされるくらいです。あなたも私も他人事ではない。

認知症になったら何も分からなくなるというわけではありません。そこには尊厳があるし、生きがいもあるし、生きる望みもあります。そういった中で、みんなで一緒に生活ができるといいなと思います。

そうですね。これは認知症だけの話ではなくて、先ほどの子育ての話も含め、障がいを抱えながら生きている方や病気の方、そういった方々があまねく過ごしやすい社会になるといいなと思います。

企業については、取り組みを充実してくれているなと感じるところです。実際は国が制度を作り、それぞれの企業が取り組むという形ですが、制度があっても使うことを知らない方、職場の人員を考えて使わない方がいますよね。企業の風土によって、そこに差ができているように感じます。

制度をつくるだけではなくて、それをしっかり活用しながら介護離職が予防できるところまで持ってゆくことが必要で、私たち研究者も、今回DSTで取り組ませていただいたeラーニングの開発のような形でお手伝いをしたいと思います。

大学を卒業した後療養病床で1年、急性期の勉強のため虎の門病院で2年働き、大学院に入りました。大学院在学中もアルバイトでずっと現場には出ていて、博士課程では留学もしましたが、留学中もボランティアで高齢者ケア施設に行ったりしていました。日本に戻ってきてからは教員になったんですが、それでも現場に週1回は出ていました。その後も施設や訪問看護等の現場に出ていましたが、子どもができてから徐々に両立が難しくなり現場に出ることは諦めました。

高校3年生の夏までは医学部進学を考えていたんですが、ちょうどその時期に知り合いがガンで亡くなったことがきっかけで、看護の道を志しました。

病気でも治療できる人はよいけれど、もう治らない人もいるということに気が付いたとき、「治らない人はどうするんだろう?」と思ったんです。そのときにたまたまキュブラー・ロスという人の『死ぬ瞬間』という本を読み終末期の患者さんのことを考えたり、ちょうどホスピスが始まった時期だったことも重なり、病気が治らない人のケアをする人が必要じゃないかと思ったのが最初でした。だから東大に入学したとき既に看護を勉強したいと思っていましたね。卒業後の進路は行政かなと考えたりもしたんですが、一般の公務員試験を受けたらどの省庁に行くかわからないので一度看護の現場に出よう思い、看護師になりました。

今も昔も変わらないことなのですが…やっぱり看護師も人間だと痛感しました。看護師は天使じゃない。

卒業後勤務した療養型病院では、準夜・深夜勤務を両方続け、一晩のおむつ交換が50回を超えることもありました。そういうことを続けていると、体力的にはもちろん気持ちの面でも大変で…。自分の限界までケアを提供して、それでもまだ要求されたときに私はどうしたらいいんだろうと思っていました。当時抱えていた思いは、今の研究にも影響を与えています。

高齢者のロングターム・ケア(長期にわたり適切な保健や医療、福祉サービスを総合的に提供するケアの体系)の質の保証に関心があり、質の指標を作って、評価を可視化する試みに取り組んだりしています。ただ、ケアの質を向上させると同時に、ケアを提供する側のクオリティオブライフも大切にしていかなければならない。その両立に取り組んでいきたいというところが、研究の大きなテーマになっています。

地域や職域にどう働きかけたらよいか考えたいという気持ちがありました。特にここ数年はそういった形で話が展開していきましたね。

 コンビニエンスストアで働いている方たちを対象として認知症教育のアプリを作った大学院生がいます。認知症に関連した具体事例を示した上で、「あなただったらどうしますか」といったチョイスをRPGのように展開し、合間に知識を入れていくものです。

例えば、バナナを買い過ぎている人がまず事例として登場し、その方の認知機能はこういうふうになっているから買い過ぎちゃうんですよという教育を、その事例の後に入れ込んでいます。マイクロラーニングというそうで、自分の好きな時間にスマホで見てもらって、全て終わったら修了証を渡す形です。

コンビニって認知症の方や高齢者の方のオアシスなんですね。大きなスーパーは足腰が弱いと歩き回れないし、何がどこにあるかさっぱりわからなくて大変なんです。でもコンビニは2、3歩歩けばあらゆるものが揃います。なので、コンビニが充実してそれを認知症の方が使うことができれば、入院せず、施設に入らず住み慣れた場所でずっと過ごせるようになるという可能性も広がると考えています。 

 そうですね。最近は街中にも特別養護老人ホームが増えてきましたが、少し前まで老人ホームといえば田舎の、普段なかなか行けないようなところに建設されていました。

認知症の方もですが、例えば精神障害を持った人はあの施設に入っている、重度心身障害の子どもたちはあの病院に入っている…と言って、そういった人たちの存在を見聞きせずに暮らしから遠ざけているのは、とても問題だと思うんです。そういう人たちだって、本当は自分の好きな生活をしたいし、自分の家で過ごしたい。しかし、外に出ることのハードルが非常に高いんです。なぜかというと、そういった人たちの存在や必要なケアについて、地域の人たちが全く知らないから。ケアを必要としながら生きている人たちはたくさんいるのに、普段の生活の中にあまりにも見かけない、身近でないという日本社会の現状は、これから大きく変わっていかなければならないと強く思います。

 そう、ダイバーシティインクルージョンって言うけど、真の意味で実現するために、その中身をやっぱり追及、実装していきたいと強く思います。

これだけ高齢者が増えたので、認知症の方もだいぶ見えるようになりましたけどね。しかし実際は認知症の高齢者だけでなく、いろんなケアを必要とする人たちがいます。その人たちは特殊な人たちではなくて、あなたや私と変わるところのないただの人なんです。

私の母は60歳で突然ほぼ失聴状態になりました。その時、身障者手帳をもらった途端に、周りの接し方がとても変化したことを、娘として感じました。私にとっては何も変わらない、家族で一番頭の回転の速い、するどくて怖い母です。ただちょっと耳が聞こえなくなっちゃった、というだけ。なのに、母に接する人の態度は、すごく変わったと感じました。

認知症も同じことだと思うんですよ。大事な家族がたまたま耳が聞こえなくなった、たまたま認知症になった、たまたま交通事故に遭って、半身不随になったり車椅子生活になったり…でもその人であることには変わりはないんです。だから普通にまちで暮らしていてもなにもおかしいことはないはずです。そこをぜひ意識したいと思います。

人生100年時代の今、社会全体でケアについて学び、一般市民や専門職の方も含めみんながケアしたりケアされたりしながら、どんな方も幸せに生きていける世の中になってほしいですね。

その実現のため、東大の看護の教員が中心になって、文京区目白台というところで新しいプロジェクトを始めます。キャッチフレーズは「幸福寿命延伸を目指す 人生100年時代のしあわせ社会実現プロジェクト」です。人生100年時代、ひとびとのしあわせをまちづくりから追求できたらいいなと思っています。特に私たちが力を入れているのが、一般市民の方々にケアについて学んでもらうことです。

保育園では自分の食べるものの栄養について学ぶところから始めて、小学生でもACPについて学ぶ。そういったことを老いも若きも皆さんに学んでほしいんです。あとは、暮らしの保健室のような、病院や施設に行かなくても相談できる場を作りたいです。学校に保健室があるようにまちの中に保健室を作りたい、という動きはすでにいろいろな地域で行われています。ここではもちろん専門職が情報提供をしますが、お互いに学び合う環境にもしたいと考えています。

また、これからは、医療介護専門職は職域だけで協働すればよいのではなく、病院や施設の垣根を越えて、地域で顔の見える関係を作って支えあう必要があります。相互のサポートも同様です。地域の医療介護職が知り合って相互サポートするための場所づくりができるといいなと思っています。

目白台にできる東大の施設でやるんですが、ここだけで終わるつもりはなく、ここでの経験から知識を社会に発信して、どこでもこの取り組みができるような社会になったらいいなということで、しあわせ社会実現プロジェクトとしています。

一般市民の方々にはまず介護について学びましょうと広く投げかけたいですね。家族が突然入院して食事の介助が必要になったときに「できます私」って、「やったことあるよ」って言えるようになってほしい。そんな家族が増えたらいいなと思います。

私たち研究者は狭義のエビデンスでものを考えることが多いので、エビデンスというとまずは定義されているものを思い浮かべます。エビデンスのレベルの低い事例研究、今回行った前後比較研究、対照群を置いた研究、それを集めたメタアナリシスという、サイエンティフィックなものをまずはエビデンスとして認識しています。それが一つの答えです。

でも、実際はエビデンスだけでは社会に実装されていかない。いくらメタアナリシスでこういった介入がいいですよと言われていても、あまりに大変な内容で実装されない、普及していかないという課題はあります。

実装と普及の戦略、implementation & disseminationの考え方が拡がっています。それを含めてエビデンスと呼ぶのもありかなと思います。最近はどのくらい実装し広げられているかという評価指標もできているので、こういった考えも広い意味でのエビデンスではないかと思います。

政策決定過程についても、エビデンスベーストという考え方を広めようという機運が高まっていると思います。エビデンスという言葉を契機に政策決定過程を変えていくのであれば、ぜひ実装と普及も含め広い意味でのエビデンスと捉えて、それが使われていく社会になるといいと思います。

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文京区目白台での東大看護目白台プロジェクトでは、内装および活動のための寄付を募集しています。

詳しくはこちらのYoutube動画をご覧ください。https://youtu.be/h-34GfrTaDc

新しい未来を築くためのご支援をお願いします。https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt91

なお、法人の場合、寄附金の全額が、当該決算期の損金に算入されます。